祝詞の前に、祓いがある

7月14日、火曜日。火の日。
新しい挑戦の完成祈願のため、湯島天満宮に正式昇殿してきました。
この日のことは、たぶん何年経っても思い出すので、忘れないうちに書き残しておきます。

祓いが先、願いは後

社務所で申し込みをして、本殿に上がる。
ご祈祷が始まって、最初に行われるのは、願いの読み上げではありませんでした。

お祓いです。

宮司さんが大麻(おおぬさ)を振り、鈴を鳴らし、
場と人の邪気を祓う。

祝詞が読まれ、願いが天に届けられるのは、そのすべての後でした。

順番が、決まっているんです。
先に、邪を無にする。願いは、それから。

神社はこの順番を、千年以上守り続けてきました。
帰り道、ずっとこのことを考えていました。

これは、経営の順番でもあると思うのです。

戦略という刀があるとします。同じ刀でも、何のために抜くかで、結果はまるで変わる。
私利や焦りや妬み——邪心で抜いた刀は、
どんなに切れ味がよくても、うまくいかない。 天も、人も、応援してくれません。

逆に、まず自分の中の邪を祓ってから立てた願いは、不思議と、周りが運んでくれる。

ドラッカーが「何をもって憶えられたいか」と問い続けたのも、
稲盛和夫さんが「動機善なりや、私心なかりしか」と問うたのも、結局は同じことだったのだと思います。
祝詞の前に、祓いがある。 事業計画の前に、動機の点検がある。

看板のない老舗

参拝の帰り、商売っ気のあるお店を素通りして、
看板らしい看板もない小さな老舗に吸い込まれました。親子丼をいただきました。

宣伝しない。名乗らない。ただ一途に、
うまい。 それでお客さんが絶えない。

「マーケティングの理想は、販売を不要にすることである」
——ドラッカーのこの言葉の実物が、丼の湯気の向こうにありました。

七夕の笹の前で

境内には、七夕の笹がまだ立っていて、色とりどりの短冊が揺れていました。
一枚一枚、読みました。 病気が治りますように。家族が元気でいられますように。
日本が暮らしやすくなりますように。

私は一般社団法人七夕協会の代表理事もしていますが、
短冊を読むたびに思うことがあります。
私一人の力で叶えてあげられる願いは、ほとんどない。

でも、「この願いなら、あの人が応援できる」と、つなぐことはできる。
一人では渡れない川に、みんなで橋を架けることはできる。

それが自分の役目なのだと、笹の前で、あらためて思いました。
私も短冊を一枚、掛けてきました。 何を願ったかは、まだ内緒です。

授かったものは、渡すためにある

いま自分にある力は——時間も、経験も、出会いも——
私でなくてもよかったはずのものを、たまたま授かったものだと思っています。

だから、授かったものは、私物にしない。渡すためにある。
その想いを、かたちにする準備を、いま進めています。 時が満ちたら、ここでご報告します。

火曜日、火の日。 いい火が、つきました。

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