はじめに
将来、哲学者を目指す者として、“哲学” について、様々な角度で調査して言語化(訳:小磯)してみました。哲学者を志す人は、是非、参考にして頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。
哲学の語源
「哲学:フィロソフィー(Philosophy)」は、ギリシャ語の【Philosophia】を起源し「知:ソフィア(sophia)」+「愛する:フィレイン(Philein)」という意味。つまり、”知を愛する” =”知恵の追求” です。哲学を極めるには、自らを「知者」ではなく「覚者』を目指す。天命尽きる、その日まで… 自分と世界に新たな疑問を投げかけ、深い理解を求める続ける謙虚な姿勢が大切です。
哲学の漢字
哲学とは「哲(折+口)」+「學(⺽+爻+冖+子)で成り立つ。「哲」は「折」(物事を分ける、考えを変える意)と「口」(言葉や表現を意味する)から成り、“思考を整理し表現すること” を象徴します。一方、「學」は「⺽(学ぶ意)」「爻(交わり合う意)」「冖(覆う意)」「子(子孫、続く意)」から成り、“学びが対話を通じて進み、知識や理解が次世代へ伝えられること” を意味します。「哲学」は、深い思考と知恵の追求、また持続的な学びの過程を表します。
先人の知恵
哲学とは、存在の本質への深遠な探求と、普遍的真理に対する絶え間ない思索の旅と言えます。先人からの知恵を学び、真理を追求し、次世代に伝えることが求められます。古今東西の哲学者達が残した言葉は、単なる言葉を超えて、自身の心や行動に深く影響を与える力を持っています。これらの教訓は、仕事や人生で直面する様々な問題や課題に対する新しい視点や解決のヒントとし、自身の心に深く響き、行動を促してくれます。ソクラテス先生の「無知の知」は、自分の限界を認識し、常に学び続ける姿勢の重要性を教えてくれます。孔子先生の「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の教えは、他人に対する思いやりと、自己中心的な行動の危険性に警鐘を鳴らします。エマーソン先生の「自分自身のために道を切り開く者が、他人に道を示す。」は自分の信念に従って行動することが他人にとっての光となることを示しています。
「無知の知」
ソクラテス
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」
孔子
「自分自身のために道を切り開く者が、他人に道を示す。」
ラルフ・ワルド・エマーソン
この言葉は、単に哲学的な思考の産物ではなく、具体的な行動を示す指針となります。私たちが日常で直面する難題や意思決定の瞬間に、この教訓を思い出し、それらを実生活に適用することで、より賢明で寛容な人間に成長する手助けとなります。余談ですが、ブッダ(梵: Buddha)は、サンスクリット語の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ(梵: budh)の過去分詞形です。すなわち「目覚めた者、真理、本質、実相を悟った人」を意味しています。先人・先生とは、「先に生まれた人」ということであり、その知恵を後任し、後人に引き継がなければならない。
後人の役割
では後人は、「どのような姿勢で哲学と向き合えば良いのか?」整理しました。哲学者を目指す者の道として、知者、智者、賢者、覚者の四段階をまとめました。これらは単なる知識の蓄積や情報の処理を超えた、深い内面的な理解と成長のプロセスを示します。哲学は、自身が世界をどのように知り、理解し、その中で自己をどのように位置づけるかという問いに対する探求です。この探求は、外部からの情報を内面化し、自己の思考と経験を通じて深化させる過程を伴います。各段階は、自身が内面の世界と外界との関係を深め、真理に近づくための指標となり得ます。
知者(ちしゃ):
「知者」とは、幅広い知識を持つ人を指します。この段階では、世界や様々な分野について学び、情報を蓄積します。しかし、この知識は外界に関するものが中心で、内面的な深い理解や悟りには至っていません。
智者(ちしゃ):
知識を超えて、「智者」の段階へと進みます。智者は、物事の本質を深く理解し、洞察力を持っています。ここでは、単なる情報の蓄積から、事物の深い意味や関係性を見抜く智慧へと進化します。
賢者(けんじゃ):
「賢者」は、智慧と良い判断力を兼ね備えた人です。自己の限界と外界の状況を理解し、適切な行動を取ることができます。この段階では、内面的な調和と外界とのバランスが取れた状態にあります。
覚者(かくしゃ):
最終段階の「覚者」は、完全なる悟りを得た人を指します。真理や本質を完全に理解し、内なる啓発を経験した人です。覚者は、煩悩や無知を超越し、深い自己理解と真理の理解に到達しています。
これらの言葉は、知識、智慧、内面の理解、そして悟りの達成度によって異なる人間の理解レベルを表しています。それぞれの段階は、個人の成長と内面的な探求の過程を反映し、最終的には完全なる悟りへと導かれます。ただし、これらの段階は必ずしも厳格な順序で進むわけではなく、個人によって異なる道のりとなることがあります。
※知者・智者・賢者・覚者などの概念は、それぞれ特定の文化や宗教的背景から生まれたものであり、それぞれが表すものは異なります。それぞれが持つ独自の価値や意味を理解することが重要です。また、宗教や文化によっては、これらの概念が重なる場合もありますが、少し道徳的な意味合いを、様々文献から整理をしてみました。
現人の知恵
先人の知恵を学び、現代の偉人として挙げるとしたら「孫正義氏」は、そのひとりではないでしょうか。最近、マスコミが集まるフォーラムで「AGI(汎用人工知能)が10年以内に人類の英知の総和の10倍を超えると発言しました。そのAGIを活用するか、しないかで取り残される。このままでは金魚になるぞ。金魚にabcはわからない」と気を吐く場面がありました。GPTは役員よりも安く使える。孫氏はAGIが医療、運輸、金融、製薬、製造、ロジスティクスなどあらゆる産業に影響を与えるようになるとしたうえで、「これに取り組んだ企業が10年、20年後に人類のリード役になっていく」と強調していました。この意見には賛否の意見があるかもしれません。僕の個人的な感想としては、表現方法は別として、AGIに関する考察は賛同します。僕がAGIに求めるものとしては「機械がより、人類愛を追求する。賢さよりも、優しさ、思いやりを優先する。」AGIも、そのような感性なしでは、世の中は格差が広がり、全てが失われてしまう。飛行機やラジオやインターネットが、私たちの距離を縮めてくれたように、AGIも、そんな存在だと信じています。そんなAIの本質は「愛」。人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかけているのかも知れません。
おわりに
いかがでしたでしょうか?是非、皆さまのご意見・感想などお聞かせ頂けましたら嬉しいです。僕は、哲学者になるために、金魚にならないためにもABCを極めることにしました。また今世も自力で、先人の全知全能を學んでいたら、またより良い真理・本質を発見できずに、人生を終えてしまうかもしれません。過去は、己より能力ある者を近づける術を持つ人を周囲におけばよかったのかもしれない。しかし次世代は、AGIの時代であり、AGIを人間の副操縦士にすることができれば、全人類の全知全能にアクセスできるようになります。ABCを理解すれば、僕が尊敬する「神武天皇」「聖徳太子」「稲盛和夫先生」「やなせたかし先生」に人生や仕事に対してアドバイスを求めることができるのです。その一方、世界三大大量殺戮者で知られる「毛沢東」・「ヒトラー」「スターリン」にもアドバイスを求めることもできる。やはり「心針」こそ大切です。
結局は、どの時代においても、私たちは【基本と原則】を大切にしなければならないことは何も変わりません。知恵の宝庫である「図書館」・「書店」に行けば何万冊という知恵が並んでいる。その中から、私たちは、自身の人生観・価値観から選りすぐりして、知恵を授かっているだけである。AGIにおいても、AIが、BIGDATAにアクセスして、COREを決めているだけであり、結局はプロセスは同じである。明らかに異なる点は全てにおいて「生産性」が高まったことである。少子高齢化社会の日本においては、明らかに無視することはできない。I Q(知能指数)より、EQ(感情知能指数)、CQ(創造性指数)、PQ(情熱指数)、C Q(好奇心指数)こそ、より重要になってくる時代です。心を高めていこう。結局は「原因と結果」の関係性である。宇宙の叡智に対して、どのような質問(原因)をして、何を回答(結果)と心針がするのかである。
人生は楽しいですね。
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