はじめに
真理を追求した人が、講演会や勉強会で、深いお話をしたとしても、よく言われることは…
●●先生 また朝礼で宗教っぽいこと言ってる。
よく見ると… 経営指針書とかも、怪しいよね。
そもそも、哲学と宗教の違いって何だろう?
皆さんは、「宗教と哲学」の違いを話すことができますか?是非、今後のために参考にして頂けましたら幸いです。
宗教と哲学の違い
宗教も哲学も、そして科学も、出発点は同じです。私達はどこからきたのか。私達はどこにいるのか。
そして私達はどう生きればいいのか。これらの問いから出発したものが、宗教であり、哲学であり、科学です。古代ギリシアにおいては哲学と科学の区分はなく、科学(science)の語源であるラテン語の「scientia」は、単に「知識」という意味でしかありません。
客観的な事実認定にとどまる科学と違って、哲学や宗教では、人間にとっての真善美まで取り扱い、人間の「心」にまで踏み込みます。しかし、最大の相違点は「物語」の有無です。宗教はこの物語によって世界を説明し、神が主人公です。それに対し、哲学は物語を退け、抽象の概念で世界を説明します。
真理の探究
真理の探究のため、
われわれは暗闇に伸びる
長い竿の上を歩いている。
常識を疑い、自問と自答を繰り返し、
どこまで続くかわからない
竿の上をひたすら歩いている。
するとときおり、
暗闇の中から内なる声が聞こえてくる。
「これ以上先に進んでも何もない。
ここが真理だ」と。
ある人は、
内なる声に従って歩みをやめて
竿から飛び降りてしまう。
ある人は、永遠に歩き続ける
前者を「宗教家」と呼ぶ。
後者を「哲学者」と呼ぶ。
そこに神がいるかは関係ない。
参考:アドラー心理学
知を愛する
哲学(philosophy)の語源であるギリシャ語の「Philo(愛する)」+「Sophia(知)」であり、つまり「知を愛する」という意味を持つ。哲学は「愛知学」であり、哲学者は「愛知者」である。すべての知を知り尽くし、完全なる「知者」になればその人はもはや愛知者(哲学者)ではない。近代哲学の巨人カントは、「われわれは哲学を学ぶことはできない。哲学することを学べるだけである」と語る。哲学というのは学問ではなく、生きる「態度」である。
おわりに
宗教とは、考えなくなること。誰かの信仰の下それ以上を求めなくなることなんだね。
私は、いつまでも自分で考え、他者を考え、地域、社会、世界を考え続けることにします。
永遠に知らないこと。未完成であるという姿勢こそが、哲学っていうことなんですね。
コメント